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なぜ健康施策は「インセンティブ」を入れても続かないのか ──行動科学が示す“報酬の限界”と健康経営の本質

2026/02/06
目次

前回のコラムでは、健康経営の成果は「組織風土」や「コミュニティ」によって左右されることを示しました。本コラムでは、その前提を踏まえつつ、企業で最も多く用いられている「インセンティブ施策」に焦点を当てます。

適切に設計・運用された健康経営は、従業員の健康向上だけでなく、生産性や業績といった企業成果にも寄与することが、国際的な研究によって示されています。

たとえば、スウェーデンの歯科ケア施設を対象とした縦断研究では、組織的な健康介入を実施した職場において、従業員の健康指標の改善と同時に、病欠の減少や時間あたりの患者対応数の増加といった、職務パフォーマンスの向上が確認されました(von Thiele Schwarz, Hasson, & Lindfors, 2014)。

この研究は、「健康」と「業績」はトレードオフではなく、適切な条件下では両立しうることを示す代表的なエビデンスの一つです。

それにもかかわらず、多くの企業では健康経営が次のような形で行き詰まります。

・健康施策に報酬をつけても、参加が続かない

・初年度は盛り上がるが、翌年には形骸化する

・インセンティブを外した途端、行動が止まる

なぜこのようなことが起こるのでしょうか。

本コラムでは、行動科学・動機づけ研究の知見と、日本企業を対象とした健康経営研究を踏まえながら、「インセンティブはなぜ健康行動を定着させないのか」、そして、健康経営を持続させるために本当に設計すべきものは何かを整理していきます。

結論を先取りすると、問題は「インセンティブを使うこと」そのものではありません。

多くの企業が陥っているのは、「それしか設計していない」ことです。

つまり問題は、インセンティブを“主役”にしてしまう設計にあります。

インセンティブは「行動開始」には効くが「継続」には効かない

行動科学の研究では、金銭的報酬やポイントといった外的インセンティブは、行動を「始めさせる」効果はある一方で、行動を「続けさせる」効果は限定的であることが一貫して示されています。

Mantzari et al. (2015) は、24,265件の研究論文をレビューし、健康行動に対するインセンティブの短期的・長期的効果を検証しました。その結果、以下のことがわかりました。

短期的な効果: 個人への金銭的インセンティブは、喫煙・食事・身体活動などの変化を効果的に促進する。

長期的な停滞: これらのメリットは、インセンティブがなくなった数ヶ月以内にほぼ消失する。

役割の限定: インセンティブは初期の格差(特に低所得者層)を埋める一助にはなるが、永続的な解決策ではなく、一時的な動機づけとしてしか機能しない。

したがって、持続的な変化には、根本的な原因に対処する他の戦略と組み合わせる必要があるといえます。

自己決定理論(Deci & Ryan, 1985)では、人の動機づけを大きく次の二つに分けています。

統制的動機づけ:報酬、罰、評価など外部要因によるもの

自律的動機づけ:意味、価値、納得感、興味によるもの

インセンティブは、前者の統制的動機づけを強化します。そのため、無関心層に「きっかけ」を与えたり、最初の一歩を後押ししたりする場面では、インセンティブは一定の効果があります。

しかし、健康行動の多くは、短期間で成果が見えにくく、長期的な継続が必要です。この段階では、統制的動機づけだけでは行動が維持されにくくなります。

つまり、研究が示しているのは、インセンティブは「効かない」のではなく、効くフェーズがきわめて限定的であるという点です。

インセンティブが「逆効果」になる理由──過剰正当化効果

さらに注意すべきは、インセンティブが行動そのものを弱めてしまう可能性です。これは心理学で過剰正当化効果(overjustification effect)、あるいはアンダーマイニング効果と呼ばれます。

もともと自発的に行っていた行動に対して強い外的報酬を与えると、「これは報酬のためにやっているのだ」という認識が上書きされ、報酬がなくなった後、以前よりも興味や頻度が低下してしまう現象です(Lepper et al., 1973; Deci et al., 1999)。

健康経営の文脈では、過剰正当化効果は次のような形で現れます。

・ポイントがもらえないなら、もうやらなくていい

・会社に言われて仕方なくやっている

・報酬が目的で、健康そのものには関心がない

この状態では、健康行動は「自分の生活を良くする行為」から「管理される業務」へと変質してしまい、健康経営が目指すべき方向から、むしろ遠ざかってしまうのです。

それでも多くの企業がインセンティブに頼るのには、3つの構造的理由があります。

数値の誘惑: 参加率や実施率といった短期指標を、手っ取り早く引き上げることができる。

画一的なアプローチ: 従業員の「行動変容ステージ(無関心〜維持期)」を把握できず、結果的に全員に同じ報酬を与えてしまう。

代替手段としての利用: 本来取り組むべきマネジメントや組織文化の課題の解決はコストが大きいため、安易な報酬によるアプローチを選んでしまう。

インセンティブは、こうした構造的課題を一時的に覆い隠してくれます。しかし、その効果は長続きしません。

研究が示す「インセンティブの適切な使いどころ」

ここまで見ると、「ではインセンティブは使うべきではないのか」と思われるかもしれません。

しかし、研究の示唆は「使うな」ではなく、「主役にするな」です。

比較的効果が出やすいインセンティブの使い方は、次のように整理できます。

フェーズを絞る: 行動変容の初期段階(きっかけ作り)に限定する。

対象を変える: 「結果(○kg減)」ではなく、「プロセス(参加・記録)」に付与する。

種類を変える: 金銭よりも「承認」や「可視化」などの社会的報酬を重視する。

インセンティブは、あくまで補助輪として設計する必要があります。

健康経営で本当に問われているのは、「どうすれば人を動かせるか」ではありません。

「なぜその行動が、その人にとって意味を持つのか」を、組織としてどう支援できるかです。

成功している企業の多くは、報酬で釣るのではなく、健康であることが自然に選ばれる「文化」を作っています。

これからの健康経営には、「報酬設計」から、個人の価値観と健康行動を紐付ける「意味設計」へと視点を移すことが不可欠なのです。

(組織心理研究所 主任研究員 丹野宏昭)

文献

von Thiele Schwarz, U., Hasson, H., & Lindfors, P. (2014). Organizational health interventions and work performance: A longitudinal study. Work & Stress, 28(3), 272–292.

Mantzari, E., Vogt, F., Shemilt, I., Wei, Y., Higgins, J.P., Marteau, T.M., (2015). Personal financial incentives for changing habitual health-related behaviors: A systematic review and meta-analysis. Prev Med 75:75-85.

Deci, E. L., & Ryan, R. M. (1985). Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior. Springer.

Deci, E. L., Koestner, R., & Ryan, R. M. (1999). A meta-analytic review of experiments examining the effects of extrinsic rewards on intrinsic motivation. Psychological Bulletin, 125(6), 627–668.

Lepper, M. R., Greene, D., & Nisbett, R. E. (1973). Undermining children's intrinsic interest with extrinsic reward. Journal of Personality and Social Psychology, 28(1), 129–137.

#ウェルビーイング#健康経営#習慣化#行動変容#動機づけ#組織づくり
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