働き方改革によって「働きやすさ」は大きく改善しました。しかし、多くの企業が直面している課題――若手の早期離職、エンゲージメント低下、成長実感の欠如――は、制度整備だけでは解決できません。その鍵を握るのが「働きがい」です。本コラムでは、動機づけ理論やワーク・エンゲイジメント研究をもとに、働きがいの構造を科学的に解説し、企業が取り組むべき組織デザインの要点を整理します。採用競争の激化、生産性向上、人材定着が求められる今こそ、働きがいの理解が企業競争力を左右します。
はじめに:働きやすさ改革の“次の課題”とは
日本企業の労働環境はこの10年で大きく変化しました。長時間労働の是正、有給休暇取得の義務化、待遇改善、働く場所や時間の柔軟化など、「働きやすさ」の実現に向けた改革が確実に進んだのは確かです。かつては制度面の問題が「働きにくさ」の主要因でしたが、その多くは政策的・制度的な取り組みによって一定の改善が見られるようになりました。
・リクルートワークス研究所 2016~2020年の比較調査
働き方改革関連法以降「職場の働きやすさ」は向上している(孫,2021)
・デロイトトーマツグループ 2022年調査
ワークスタイル改革を「完了」および「推進中」「計画中」:94%
ワークスタイル改革に「効果が感じられる」「部分的に感じられる」:85%
しかし現場の声に耳を傾けると、次のような本質的な課題が浮かび上がってきます。
「働きやすくはなったが、仕事への前向きな気持ちは以前より低い」
「制度は整っているのに成長実感がない」
「従業員エンゲージメントが期待ほど改善しない」
このギャップはどこから生じているのでしょうか。
心理学者としての私の立場からは、「働きやすさ」と「働きがい」を分けて理解する必要性が高まっていると考えています。「働きやすさ」は不満の解消にはつながりますが、必ずしも「働きがい」の向上、すなわち前向きなエネルギーや主体的な関与を生み出すわけではありません。両者は異なる心理メカニズムを持っているのです。
以下では、心理学の動機づけ理論、自己決定理論、そしてワーク・エンゲイジメント研究をもとに、働きがいの本質とその実務的示唆について整理していきます。
「働きやすさ」だけでは満足度は上がらない
働きやすさと働きがいを理解する上で、最も代表的な心理学のモデルが ハーズバーグ(Herzberg, 1966)の二要因理論です。この理論では、職務満足と不満足は独立した2つの軸によって説明されます。
衛生要因(働きやすさ):給与、作業条件、福利厚生、人間関係など
→ これらが整うと不満は減りますが、満足が高まるわけではありません。
動機づけ要因(働きがい):成長、達成、承認、責任、自己実現
→ これらが満たされると満足度が高まり、仕事に前向きな関与をもたらします。
働き方改革が取り組んできたのは主に衛生要因(働きやすさ)です。働きやすさの改善は不可欠ですが、それだけでは働きがいは生まれません。
近年の研究では、二要因理論の厳密な再現性に対する議論もありますが、「衛生要因は不満の減少に寄与するが、満足を強めるわけではない」という核心部分は、職場実践において依然として有効なフレームです。
多くの企業で「制度は整っているのに人が辞める」「エンゲージメントが伸びない」という問題が起きているのは、この構造的ギャップによるものだと言えます。
近年の調査(日本総合研究所, 2020)では、若年層ほど以下の要因を重視する傾向が示されています。
若年層が仕事において重視する要因
・自己成長への欲求の強さ
・仕事の面白さ・楽しさ(内的報酬)
・ハードワークへの低い許容度
これは単なる「最近の若者は…」という価値観の問題ではなく、働き方改革によって働きやすさが改善し、“働きがいに目を向ける余裕と意識が高まった” と捉えるべき現象です。
企業側が働きがいの設計を怠ると「働きやすいが、働きがいはない」というアンバランスな状態になり、結果として若手の離職やエンゲージメント低下を招くことになります。
自己決定理論(SDT)が示す「働きがいの3要素」
働きがいを科学的に理解する上で最も有効な理論が、自己決定理論(Deci & Ryan, 1985)です。自己決定理論では、行動の動機づけレベルを以下の表のように整理しています。仕事における動機づけもこの理論で説明が可能であり、表の上のレベルほど自律的でありパフォーマンスや持続性が高くなります。一方で表の下のレベルほどパフォーマンスや持続性は低くなります。

自己決定理論では、以下の3つの基本的心理欲求が満たされることが、動機づけを自律的にする鍵であるとされます。
動機づけを高める3要素
自律性(Autonomy) :自分で選択して行動している感覚
有能感(Competence) :自分の能力が認められ、成長を実感できること
関係性(Relatedness) :周囲とのつながりや承認を感じられること
これら3つは「人が自ら意欲的に行動するための最低条件」であり、この3つが満たされるほど、パフォーマンス、創造性、幸福感が向上するという研究結果は世界中で示されています。
一方で、現代の企業では、次のような構造的欠落が生じがちです。
・裁量は与えるが責任が重すぎる → 自律性が逆に低下
・仕事が細分化され成果を実感しにくい → 有能感が得られない
・テレワークで関係構築機会が減る → 関係性が希薄化
これらが満たされなければ、どれだけ制度が整っていても働きがいは生まれません。
ワーク・エンゲイジメント:働きがいを可視化する科学的モデル
働きがいを定量化し、職場の活力を測定する上で注目されている概念が ワーク・エンゲイジメント(Work Engagement)です。ワーク・エンゲイジメントは次の3つの要素から構成します。
ワーク・エンゲイジメントの3要素 (Schaufeli, et al., 2002).
活力(Vigor):エネルギッシュに仕事へ向かう状態
熱意(Dedication):仕事に意味や誇りを感じている
没頭(Absorption):仕事に深く没頭している状態
つまりワーク・エンゲイジメントの高い状態とは、「活き活きと仕事に取り組み、仕事に誇りや熱意をもち、仕事に集中している状態」といえます。
ワーク・エンゲイジメントを高くもつことで、以下のような影響があります(島津,2010)。
ワーク・エンゲイジメントが高いことによる影響
・職務満足感の向上
・組織へのコミットメントの向上
・離職率の低下
・自発的な行動の向上
・顧客満足度の向上
・抑うつや心理的苦痛の低下
このように職場の働きがいが、企業の生産性や業績と密接に結びつくことは明確です。
働きがいを高める職場デザイン
働きがいは、単に制度構築では生み出せません。心理学的メカニズムに基づいて、働く人の「動機づけ資源」をどう設計するかが重要です。
① 自律性を高める
ここまで述べてきたように、自律性は内発的動機づけの中心であり、自律的な仕事はエンゲージメントを促進します。また裁量権は自立性や創造性に大きく影響します。
実務でできること:
・選択肢のあるタスクの設計
・自分で意思決定できる範囲を明確化
・過度な細かい指示の削減
② 有能感を高める
有能感が高いことも動機づけの向上に重要です。有能感が高いほどパフォーマンス・満足度が高まります。有能感を高めるためには適切なフィードバックを与えることが重要です。フィードバックの質が高いほどワーク・エンゲイジメントが高まります。
実務でできること:
・プロセス重視のフィードバック
・チャレンジとサポートの両立
・成果だけでなく「学習」を評価に含める
③ 関係性を強化する
職場の関係性はワーク・エンゲイジメントや離職に大きく影響します。上司の支援行動はワーク・エンゲイジメント向上に強く関連し、対人関係資源はストレス軽減・満足度向上につながります。
実務でできること:
・定期的な1on1
・承認を可視化する仕組み
・相互理解の機会づくり
④ 仕事の「意味」を語る
「Meaningfulness(意味づけ)」はワーク・エンゲイジメントの最重要因子の一つです(May et al., 2004)。自分の仕事の目的を理解している従業員はワーク・エンゲイジメントが高くなります。
実務でできること:
・事業の目的・社会的意義を語り直す
・顧客ストーリーを共有する
・価値創造が見えやすい情報設計
⑤ 成長機会を可視化する
前述のとおり、特に若い社員においては「成長実感」を重視する傾向があります。そのため成長機会がある職場では離職意図が著しく低下することが示されています。
実務でできること:
・スキルマップの作成
・研修・越境学習の設計
・キャリアパスの明確化
まとめ:働きやすさの次に求められるのは“働きがいの設計”である
働き方改革によって「働きやすさ」は向上しました。しかし、いま企業に求められているのは「働きがい」の設計です。働きがいの設計て注意すべき点は以下の5点です。
・自律性
・有能感
・関係性
・仕事の意味づけ
・成長機会
これらを高めるために、「裁量権」「適切なフィードバック」「対人関係の充実」「仕事の目的理解」「成長機会の可視化」といった要素を上手にデザインしていく必要があります。
働きやすさは“土台”です。働きがいは“エネルギー”です。この2つが揃って初めて、人は活力を持って働くことができます。
企業がこの心理メカニズムを理解することこそ、これからの組織の競争力を左右するポイントになると考えています。
文献
孫亜文 (2021).日本人の「働き方」は本当に変わったのか?5年の成果と課題を徹底検証 ダイヤモンド・オンライン (https://diamond.jp/articles/-/284842, 2021年12月21日)
デロイトトーマツグループ (2022).ワークスタイル変革実態調査2022~アフターコロナのニューノーマル策定に向けて~ (https://www2.deloitte.com/jp/ja/pages/human-capital/articles/hcm/workstyle-survey.html)
Herzberg, F. (1966). Work and the Nature of Man, World Publishing.(北野利信訳『仕事と人間性―動機づけ- 衛生理論の新展開―』東洋経済新報社,1973 年)
日本総合研究所 (2020).若者の意識調査(報告)― ESGおよびSDGs、キャリア等に対する意識 ― (https://www.jri.co.jp/file/column/opinion/detail/200813report.pdf)
Deci, E. L., & Ryan, R. M. (1985). Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior. Berlin: Springer Science & Business Media.
二宮仁志・後藤平生・渡邊法美 (2021).評価グリッド法を用いた建設技術者のワークモチベーション構造の分析的研究 土木学会論文集F4(建設マネジメント), 77(2), 57-69.
Schaufeli, W., Salanova, M., Gonzalez-Roma, V. and Bakker, A. (2002) The Measurement of Engagement and Burnout: A Two Sample Confirmatory Factor Analytic Approach. Journal of Happiness Stadies, 3, 71-92.
島津明人 (2010). 職業性ストレスとワーク・エンゲイジメント ストレス科学研究, 25, 1-6
May, D. R., Gilson, R. L., & Harter, L. M. (2004). The psychological conditions of meaningfulness, safety, and availability and the engagement of the human spirit at work. Journal of Occupational and Organizational Psychology, 77(1), 11–37.




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